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富岡製糸場の世界遺産登録はうれしいですが、先人が技術革新を重ねてシルクの大量生産に成功し、日本の近代化を支えた日本の養蚕業は、現在絶滅寸前。
そんな日本の養蚕業について学ぶため、日本絹の里も訪問させていただきました。


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養蚕業というのは、カイコ(蚕)を飼ってその繭から生糸(絹)を作る産業ですが、蚕はとてもデリケートで飼い方が難しいそうですね。蚕は家畜となる珍しい昆虫で1頭、2頭と数えるのだとか(あと家畜になる昆虫は蜂くらい)。
この蚕の飼い方を工夫し、安定した繭の生産を可能にしたことが、絹を日本の一大輸出産業に育てることができた一因だそう。
荒船風穴は年間を通してとても低温になっており、ここに蚕種(蚕の卵)を保存することで、年数回の蚕の飼育が可能になったり、孵化の時期を揃えたりすることに成功したそう。
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田島弥平は養蚕方法の研究の末、自然の通気を重視した近代養蚕法「清涼育」を開発。
高山長五郎は、「清涼育」と「清暖育」を組み合わせ、近代養蚕法「清温育」を開発。さらに教育機関を設立し、その飼育方法を指導し広め、日本の標準的な養蚕方法となったそう。
写真は「清温育」での蚕室の模型。
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これが蚕の本物。生きていました。脱皮を重ね5齢で繭を作るのだとか。
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小さなうちは人工飼料を使うそうですが、大きくなったら桑の葉を与えます。
写真は外にあった桑の木。
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これは蚕の模型ですが、上の目のように見える部分は単なる模様で、顔は口の周りの小さな部分だそう。
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口から糸を吐き繭を作るのですが、蚕の体内では液体なのが外に出るときに糸となって繭を作るそうですね。
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繭糸はフィブロインとそれを覆うセリシンという2種類のタンパク質からできており、セリシンは糊の役割をしているため、繭を煮てセリシンを溶かし糸を取ります。
繭からの糸はとても細いのでこの写真ではほとんど見えていませんが、
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拡大したらこんな感じ。ある程度の本数を束ねて巻き取ります。
糸を引き出すのが難しい感じですが、そういう難しい部分を自動化していったのが、富岡製糸場にあった自動繰糸機などですね。
繭にも色々な品種があり、中国種との交配種(F1)の繭を生産に使うそう。
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糸繰り機
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撚糸機と機織り機
こういうので、絹の織物を作っていき、
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様々な美しい絹織物になります。
シルクは絹織物だけでなく、保水性やUVカットなどたくさんの特性を活かした使い道があるそうです。最近は冬虫夏草の漢方のために使われることが多いのだとか。
養蚕業を行っている人は平均70歳以上になり、どんどん減ってきているそう。現地富岡の養蚕農家も12戸ほどになっているとか。国内で操業している器械製糸は二工場で、群馬県では碓氷(うすい)製糸工場だけ。
日本の養蚕業はその生産の難しさや高齢化や後継者不足だけでなく、中国産など海外製に押されたり、需要が少なかったりで、なかなか大変な産業になっています。しかし、富岡製糸場が世界遺産登録されるというのに、このようなシルク生産業の現状は悲しい、と立ち上がった男たちがいた。
(と、プロジェクトX風な前振りで)つづく
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ちなみに、日本絹の里では、7/14まで特別展「海を渡ったシルクとオールドノリタケ〜対米輸出の軌跡〜」を開催しています。シルクと並んで当時対米輸出の主役だった陶器にフォーカスを当て、美術品的なオールドノリタケが多数展示されていました。なんとほぼすべてある個人の収集家の所有物だそう。
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どれも見応えがあります。写真撮影もOK。興味がある方はご覧ください。
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また、日本絹の里には世界遺産登録をお祝いした様々な絵や書が沢山飾られていました。

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