JAL見学会その2 JAL SKY MUSIUMで日本の航空機の歴史を学ぶ


JAL見学会で格納庫見学のあとは、昨年7/22にリニューアルオープンした「JAL SKY MUSIUM」展示コーナーを見学しました。このSKY MUSIUMを作った担当の方自ら説明を頂いたので、何を表現したかったのか、展示にあたってのエピソードなどを交えて語って下さいました。
写真は過去から現在に至るまでのJAL/JASの歴代航空機の変遷を表現したモデルプレーンタワー。同じ1/50サイズになっているので、サイズ感の変化も良く分かります。
※このブログに掲載されている写真は、日本航空株式会社の許可を得ています。



日本航空は1953年設立ですが、その歴史を語る上では戦前の航空機から語る必要があるということで、戦前の定期航空便の路線図などが書かれています。当時は航続距離からはこんな感じに飛んでいたのですね。航空挺なんかも多かったみたいです。

注目して欲しいのがデザインだそう。その当時のパンフレットなどでも見て分かりやすいイラストを多用するなど古さを感じさせない感じになっています。

当時の航空機

戦後、GHQにより航空活動が禁止されていましたが、朝鮮半島情勢の影響で1950年に解除。免許取得に5社が名乗りをあげ、最終的には日本航空に合流したそう。
日本航空は従業員39名、資本金1億円でスタートしたのだとか。集まったのは戦前に航空機を扱っていた人々。スタート当時はこんな感じだったそうですね。

当初はもちろんプロペラ機。自社所有一号機はダグラスDC-4。

当時は航空士(ナビゲーター)が天測窓から六分儀を使って星を観測し、航路を測定して操縦士に指示していたそうですね。

そして1960年にはジェット機DC-8を導入。速度が2倍、席数が2倍になり、飛躍的に輸送能力が高まったそう。

アンカレッジ経由の北回り欧州線が開設されたそうですが、万が一の自体に備え、ホッキョクグマ撃退用のライフル銃や北極圏を想定したサバイバルセットなんかを搭載したり、乗務員はかまくら造りやライフル銃の射撃訓練を行ったりしていたのだとか。

1970年にはジャンボジェットが就航。輸送能力がさらに倍以上に。
自由化された海外旅行はより身近になり、海外のホテルなどの手配も含めたパック旅行をJALPAKが手がけました。

ボーイング747のインテリアカットディスプレーモデル。2階のラウンジは豪華ですね。
日本航空は常に和のデザインを追求してきたそう。

1985年には操縦システムのコンピュータ化が進み、航空機関士の役割をコンピュータが担って、操縦士2名による運行が可能になりました。
航続距離も伸びて、ヨーロッパ直行便も可能になったそう。
ここまでの航空機および日本航空の歴史はほとんど分かってなかったので、とても勉強になりました。
日本航空は、救援チャーター便や皇室フライトなどの様々な特別フライトも行っており、その展示などもありました。

また、JAL/JASの歴史の中でデザイン性に優れたアイテム(記念品、時刻表、機内誌、ポスター等)が多数展示されていました。


こちらは、仕事紹介エリア。空港スタッフや客室乗務員、パイロット、航空整備士、グランドハンドリング&貨物スタッフなどの仕事や道具などが展示してあります。


JAL/JASの客室乗務員の歴代制服も展示してありました。


制服体験コーナーもあり、パイロット、客室乗務員、航空整備士、空港スタッフの制服を簡単に着ることができます。子供用の制服もありますよ。

操縦席に座ることもできます。


JALグッズショップにはオリジナルグッズがたくさん。

JAL工場見学に来た時にはJAL SKY MUSIUMの展示もぜひ楽しんでください。
普通の工場見学はココまでですが、我々はさらにバスに乗って「JALテクニカルセンター」へ。
JAL見学会その3に続きます。

saya: